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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、頑張ってきたエネルギーはたくさんの出会いです。同級生の井上さんに高校、大学時代のヒデミツの素顔を聞く連載企画の第1弾。 |
【第1話】
■とにかく目立つ高校生 荒唐無稽なヒデミツ■
私が日大付属習志野高校1年9組の時、斜めうしろの席が佐野秀光くんでした。ほとんどの生徒は千葉県内からの通学でしたから、大田区出身の都内から通う彼は「なんでこんな所にきたのか」というのが第1印象です。東京のはずれから通学する変わった生徒でしたが、日常でも変わった人でした。遅刻は当たり前、ある時は髪型はリーゼントで決め、ある時は血だらけ頭はボサボサ。とにかく落差が激しいのです。伊達メガネでみんなを驚かすなど明るいキャラクターは、みんなの人気者でした。目立っていましたが、不良とか暴走族ではなく単なる変人でした。自転車で高校から船橋まで10キロを超える道を2人乗りで帰ったり、”青春時代”は荒唐無稽な佐野くんというのが、私が想い出すヒデミツくんなんです………(続きは次号)。 |
同級生 井上満さん(A型しし座)談
※おことわり……できるだけナマの声取材のため、役職上
仮名での登場の方もいらっしゃることをご了承下さい。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。同級生の井上さんに高校時代のヒデミツの隠された一面を余す所なく語って戴く連載企画の第2弾 |
【第2話】
■常識はずれの行動 逃げないヒデミツ■ |
高校2年生になると文系、理系に分かれ、文系の佐野くんとはクラスが違いましたが友人関係はますます深まっていきました。女子高生4人組との合コンをセットしてくれたのも佐野くんです。当時付き合っていた彼女の友人3人を集め、私たちが参加した合コンです。しかし、彼の行動は常識はずれ。やってきた彼女の友人3人に次々と声をかけナンパしていったのです。「ボクとの関係はナイショ」と口止めするんですが、バレてしましました。
「なんでみんなに手を出すの」仲良し4人組の女の子の怒りは頂点に達し、みんなから釈明を求められることに。この時、佐野くんは逃げないで堂々と女の子の前に立ち、罵声を受ける勇気には感動しました。高校生らしくないオトコ気を感じたからなんです。 |
【第3話】
■頭を丸坊主で猛勉強 高校生らしくない発想■ |
佐野くんは高校生3年生になった時、突然頭を丸坊主にしてしまいました。いままで勉強もしないでディスコ遊びに夢中になっていたので、附属高でありながら附属大学にも入ることのできない成績を知り、猛勉強する決意を表したのです。
同級生の中には丸刈りなどいません。まさに学校中の話題の人。日大附属の全国統一テスト対策のため、メリハリのある勉強方法です。頭を丸めて勉強しようなどいう発想には「何事か」とみんなが驚いたのです。
女の子から呼び出されても逃げないヒデミツ。丸坊主のヒデミツ。「こいつは、ものすごく成功するか、失敗するか」と思った佐野くんの高校生の印象です。普通の人間ではなく、変人だったことは間違いありません。………(続きは次号)。 |
| 同級生 井上満さん(A型しし座)談 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。同級生の井上さんに大学時代のヒデミツの隠された一面を余す所なく語って戴く連載企画の第3弾 |
【第4話】
■焼きそばとビール1本 最初の事業はサークル風■ |
佐野くんは日大経済学部に、私は日大理工学部に入学しました。学部が違うため離れ離れになってしまいましたが、友人関係はより密になっていきました。
日統一ゼミナールという日大附属生のための家庭教師派遣業を、大学1年の時、佐野くんはスタートさせました。私が従業員です。5帖のアパートの一部屋を事務所にして、毎日のように行動を共にしていました。事業を起こしてもお金がないので、毎晩カップ麺のやきそばにビール1本の暮らし。バス代節約のため自転車で移動。事務所の机の下にもぐって寝たこともありました。私は生活費を稼ぐため、土日は別のアルバイトをしていましたので、従業員なんかじゃあなく、サークルの一員なんです。「どうしたらお金になる」「こんな事業は成長する」「何でも取り組もう」毎晩夢を語り合っていたヒデミツと私です。 |
| 同級生 井上満さん(A型しし座)談 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。同級生の井上さんに大学卒業後のビジネス展開を披瀝して戴く連載企画の第4弾。 |
【第5話】
■1からスタートすること 夢を語るヒデミツはいきいき■ |
ビジネスを語る佐野くんの表情はいきいきしています。普通の人間ならば、サラリーマンになった方がラクなんですが、彼は「1からスタートすること」「新しい仕事を構築すること」「みんながやらないこと」を考えるのが大好きでした。ある面では思い込みが激しい面、がんこな面もありましたが、このしつこさが今日の姿を生み出したのではないでしょうか。
大学卒業後は、佐野くんは情報通信ネットワークを発展させることに心血を注ぐことになり、私はサラリーマンの道を選択しました。彼は実業家として、学生時代の夢を追い続けることはとてもすばらしいと思います。会うたびに、いろんなビジネスアイデアを聞くことは楽しみです。このエネルギーは自分にない一面だけに、あこがれてしまうヒデミツの発想なんです。 |
| 同級生 井上満さん(A型しし座)談 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。同級生の井上さんに日本初の事業展開に意欲を燃やすヒデミツの想いを語って戴く連載企画の第5弾。 |
【第6話】
■日本初の事業を次々と、ヒデミツの発想に期待■ |
謄本取得作業を始めることを聞いた時、私は全国のネットワークをどうやって構築していくのか心配でした。しかし、佐野くんは「お客様のためになる仕事」という志を大切に新しい事業を展開していったことは、私には考えられない視点です。事業の意義が明確であり、お客様のニーズに応えたビジネスがみんなの支持を受けたのだと思います。
「日本初」どんな事業でも自らがパイオニアとして頑張るという学生時代の夢が、ひとつ実現できたのです。佐野くんの発想でいまでは「謄本取得代行」が当たり前のようになってきました。IT時代が進む中で、果たすべき情報通信ネットワークの役割はさらに大きくなるのではないでしょうか。ヒデミツの新しい発想、新しい視点からもっともっとビジネスアイデアが生まれることを期待しています。 |
| 同級生 井上満さん(A型しし座)談 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。公簿取得代行業をスタートさせた社員第一号の小松さんにヒデミツとの仕事を語って戴く連載企画。 |
【第7話】
■これはモノになる■ |
情報通信ネットワークは1994年5月から登記簿謄本の取得代行業をスタートさせました。私は前年まで車販売会社の営業マンをしておりましたが、ヒデミツの新たな事業展開に賛同、社員第一号となって働くことになりました。中学校からの同級生、同じ学習塾、さらに大学時代のヒデミツは母の経営するクラブでボーイのアルバイトをするなど家族ぐるみのお付き合いがありました。
今までのヒデミツは「こんな商売は儲かる」「ビジネスチャンスだ」「水に塩を混ぜたバッテリー」など、会うたびに様々な商売を語っていた「商人」でした。子供の頃から「変人」でしたので、大人になってからは「変人」から「商人」になっただけですが、とにかく普通の友人とはまるっきり違うヒデミツでした。
公簿取得代行業のビジネス構築を打ち明けられた時、私も車販売会社ではお客様の謄本取得の仕事をしたこともあり「これはモノになる」と直感、ヒデミツと一緒に仕事をする決心をしたのです。 |
創業時社員第一号 小松 忠さん(AB型さそり座)談
(現 ドコモエンジニアリング⑭ ネットワークサービス事業部 技術協力担当) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会った沢山の人々。順風満帆でなかったヒデミツの商について、創業時メンバー小松さんが語る連載企画の第2弾。 |
【第8話】
■必ず成功する■ |
当時は、JR蒲田駅西口近くの古いビルの3階に情報通信ネットワークがあり、ヒデミツと私の2人だけのスタートです。「景気が良くても謄本は必要」ですから「これはいける」とヒデミツの発想を信じたので、毎日、司法書士さんや行政書士さんに電話をかけたり、法務局周辺を歩いて「提携」をお願いしていました。夕方からは発注書を手書きで書く仕事が待っていて、帰りは午前2時頃という勤務の連続でした。
私は「必ず成功する」と強く感じていました。だからこそ、初めてのビジネスでいろんな事に直面しましたが、真っ白なキャンパスに筆を走らせるような楽しさしか頭の中にはありません。常に前向き指向で仕事に取り組みました。
「司法書士さんに断られた」
「公簿取得代行などとんでもない」
などと、辛い事があってもヒデミツと一緒に困難に立ち向かっていくことは、新鮮さを感じ、逆にやる気が沸いてくる毎日に変わっていったのです。 |
創業時社員第一号 小松 忠さん(AB型さそり座)談
(現 ドコモエンジニアリング⑭ ネットワークサービス事業部 技術協力担当) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会った沢山の人々。公簿取得代行業を手づくりで進めるヒデミツとの2人3脚を小松さんに語っていただく連載企画の第3弾。 |
【第9話】
■手づくりの会社が魅力■ |
手書きの発注、提携する司法書士さんを手探りで求めていくことは大変な作業でした。どんなにがんばっても1日100件をこなすのは至難のワザです。ヒデミツは主に外回りの営業、私は内部の事務体制の確立を図る役目でした。
社員も1人、2人と増えてきましたので社員管理も任されてしまいました。当時は古いビルの3階に情報通信ネットワークがあり、社員応募者は暗い階段を上がっていくので、かなりの勇気が必要だったと思います。新しいビジネスモデルの会社なのに、事務所は自社ビルと言っても、とても最新ベンチャー企業とはほど遠いイメージだったのです。だからこそ、入社を決意した人達は見た目よりも中身で一生懸命、脇目もふらずに頑張ってくれたのです。
新しいビジネスですからマニュアルがあるわけでもなく、何から何まで社長のヒデミツと私がこなさなければならない手作りの会社でした。全てが目に見える全ての仕事がわかることが私をやる気にさせたのだと思います。 |
創業時社員第一号 小松 忠さん(AB型さそり座)談
(現 ドコモエンジニアリング⑭ ネットワークサービス事業部 技術協力担当) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会った沢山の人々。特異な病気が判明し5ヶ月間の入院を余儀なくされた小学生のヒデミツは大ショックです。 |
【第10話】
■特異な病気が判明した小学生のヒデミツ■ |
| 小学校5年生の夏、ヒデミツは次の授業が待ち遠しいほど「水が欲しい」、階段を上り下りするにも「体がだるい」といった症状を両親に訴えました。この訴えに驚いた両親は、すぐに近くの東邦医大病院にかけこみました。この時、下された診断は「即入院」という信じられない結果でした。病名は「インシュリン依存性糖尿病」です。体の中からインシュリンを生み出す機能がまったく働かない、日本では10万人に8人という特異なものです。入院は5ヶ月間にも及び、高学年になったヒデミツは大ピンチ。そして入院中だけでなく、これから毎日一生涯にわたり注射を打たなければならないことは、5年生の子供にとっては大ショックです。両親の驚きはもちろんのこと、人生が終わってしまうくらいの暗い空気が佐野家を襲ったのです。けれどもヒデミツは、自ら教科書を開き、自ら勉強する時間を作りだし前向きでした。この明るい姿勢が自らを救うことになるとは、当時のヒデミツは知る由もなかったのですが、その時……。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。小学生のヒデミツにとって担任の守長俊之先生こそ、挫折の人生を回避してくれた大恩人なのです。(その2) |
【第11話】
■ハンデを乗り越えるためにヒデミツは……■ |
特異な病気だからといって、ヒデミツは悲しいなどと否定的になることはありませんでした。ハンデを乗り越えるためひたすら勉強することで、暗さを吹き飛ばそうと頑張りました。ヒデミツが病気に負けることなく入院していることを両親から聞いた担任の守長先生は、ヒデミツの頑張りにさらに力を貸してくれました。
病気との闘い、勉強への執着。ヒデミツの小さな挑戦や子供を想う両親の真剣な姿に、心打たれた守長先生。入院先の東邦医大病院に、週2回勉強を教えにやってきてくれたのです。家族以外は面会ができない状況でしたが、病院内の一室を自習室に提供していただき、個人授業がスタートできました。
5ヶ月間にもおよぶ入院生活でも、ヒデミツは普通の生徒に遅れることなく、勉強ができました。当時を振り返り守長先生は「頑張った努力は並ではない」とヒデミツの勉強ぶりを語っていますが、その努力とは……(以下次号)。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。子を想う両親に心を打たれた担任の守長俊之先生は、入院先のヒデミツに個人授業をスタート。(その3) |
【第12話】
■ヒデミツの両親に感動した守長先生■ |
入院先の病院で授業を受けるなんて、当時、東邦医大病院では初めての出来事です。公立学校の先生が、ボランティアで入院中の生徒を見てくれることは考えられないことなのです。守長先生は「子を想う両親の姿を見れば当然のこと」と軽く受け流していますが、ヒデミツにとっては忘れることのできないこと。特異な病気が判明し、挫折してしまうのが当たり前ですが、勉強に遅れることはありませんでした。外で運動ができないヒデミツにとっては縄跳びも出来ないので階段を歩く事で補うようにしていました。
運動への習慣付けの訓練まで行うなど、まるで学校の授業と変わりません。守長先生の授業がなければ、いくらヤル気を出していたヒデミツでも挫折してしまうことでしょう。「基本がしないものに未来はない」と守長先生の教えは、難しい授業ではなく、ごくごく当たり前のことを徹底的に教えることが基本でした。病院内で限られた時間での授業だからこそ、ヒデミツの集中力も養われていったのです。この守長先生の学習法の秘策とは
……(以下次号)。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。入院先のヒデミツは、守長先生から「勉強の基礎」を徹底的に教えられました。(その4) |
【第13話】
■基礎を徹底的に学んだヒデミツ■ |
| 守長先生の教えは「ラクする教え方」。講義は1回か2回でわからせれば、あとは余暇に使えるわけですから、基礎学力を作ることだけに集中していました。普通の子供のように毎日学校に行くわけではなく、少ない時間で最大の効果を生まなければ、授業についていけません。時間をかけない守長式省エネ授業だったのです。守長先生は当時は40代半ば。教師にとっていちばん脂の乗り切っている時代です。この輝いている時代に出会ったことは、ヒデミツにとっては幸運だったのです。当時は黙読を教えていた学習法でしたが、ヒデミツは声を出して教科書を読んでいく音読を教えられました。1人静かに本を読むことより、たとえ1人でも声を出せば元気になります。守長先生の教えはヒデミツにとっては宝です。大事な先生を1人占めできる機会を与えられたのですから、先生の期待に応える気持ちが、勉強をさらに進化させる結果になっていったのです。そして……(以下次号)。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。一生続く病気との闘いに、明るい展望を開いてくれた守長先生は、いつまでも大恩人として存在します。 |
【第14話】
■どこまでも明るいヒデミツ■ |
| 守長先生にとって、ヒデミツのような印象深い生徒は、44年間の教員生活の中で「4~5人しか頭に浮かばない」と語っています。「がんばりがきく」、「人と考えが違う」ヒデミツの少年時代は鮮明に憶えているのです。作文を書いても「自分はこう思う」と小学生でも自らの考えをもっていた生徒でした。先生が教えれば教えるほど、一生懸命受け止めてくれることが、より教えたくなるヒデミツの存在だったのです。特異な病気が判明した時に、守長俊之先生と出会ったことは、ヒデミツにとっては生涯忘れることができないもの。帽子やランドセルに黄色のカバーをつけられたり、体操着を普通の子と識別されましたが、守長先生はそんな差別をなくし、学校ではごくごく普通の子供のようにして下さったことが、ヒデミツは嬉しかったのです。これから一生続く病気との闘いに、明るい展望を拓いて頂いた守長先生は、まさにヒデミツの大恩人なのです。 |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が、出会ったたくさんの人々。公簿取得代行業を始めるきっかけとなったのは、横浜市議会議員、横山正人さんの初めての選挙でした。 |
【第15話】
■29才、23才の若さで選挙を闘う■ |
| 「こんど選挙に出るぞ」、ヒデミツは自民党学生部の先輩から声を掛けられました。平成5年横浜市議会議員選挙(青葉区補選)に出馬を準備していた横山正人さんから、選挙スタッフになることを誘われました。当時の情報通信ネットワークは、教育情報センターの名称で、予備校や学習塾に教師の派遣や生徒募集業務の代行などを展開していました。また、大学生のための求人情報誌「J-Worker」を創刊するなど、若者を対象にした事業が主だったことから横山さんは、学生社長として起業した経験をもつヒデミツに白羽の矢を立てたのです。横山さんは29才、ヒデミツ23才。この若い2人の戦いの中、次のビジネスに結びつく大きなヒントを掴んでいったのです……。(以下次号) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が出会ったたくさんの人々。23才のヒデミツが応援した横山正人さんの市議会議員選挙こそ、人生を変えることになった連載企画の第2弾です。 |
【第16話】
■次々と新戦略を打ち出す■ |
当時、自民党から29才で選挙に出るということは画期的なことでした。古い人たちが選挙事務所に集まり、切り盛りしていました。23才のヒデミツが参謀になるなど考えられません。学生時代から仲間と共にビジネスを起こしたヒデミツの手腕や感覚を選挙事務所のノウハウに生かそうと、横山正人さんが起用したのです。
ヒデミツの発想は、いつでも新鮮です。従来の選挙運動を踏破するのではなく、常に新しい戦略、戦術を考え、実行、そして成果を求めるフロンティア精神に溢れていました。ポスター、ビラ、のぼり旗、街頭演説、集会などひとつひとつが、ヒデミツのみずみずしい感性から生み出され、相手陣営には脅威を与えるものでした。さらにみんなで考えた選挙必勝の秘策こそ、ヒデミツの人生にとって大きな転機となっていくのです…。(以下次号) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が出会ったたくさんの人々。当時23才のヒデミツが応援した横山正人さんの市議会議員選挙こそ、人生を変えることになった連載企画の第3弾です。 |
【第17話】
■次々と新戦略を打ち出す■ |
ポスターやビラをいかに斬新なものにしても、選挙に勝利するわけではありません。29才の候補者を当選させるためには、多くの市民が共感する政策を提言しなければならないと、ヒデミツは考えました。このため、みんなが納得がいく政策を掲げることで、若くても信頼ができる政治家をアピールできると思いました。
当時は駅前で住民票を交付してもらう行政サービスが始まったばかりでした。もっとサービスコーナーを増やしたり、住民が無理なく行政サービスを受けられる政策を訴えていきました。当時では考えられない「自動交付機設置」を提言するなど、まさに先進的な政策です。横山さんが掲げた身近で、わかりやすい市民サービスの充実は、たくさんの人たちの共感を頂きました。この公約づくりに費やした情熱こそ、ヒデミツにとってはとても重要なプロセスだったのです…。(以下次号) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が出会ったたくさんの人々。当時23才のヒデミツが応援した横山正人さんの市議会議員選挙こそ、人生を変えることになった連載企画の第4弾です。 |
【第18話】
■ひとつのきっかけから■ |
横山正人さんの選挙を通じて、単なる選挙スタッフとして頑張ったヒデミツではありません。「サービスコーナー設置」の公約から、お役所手続きに市民の不満が多いことをハダで感じました。市民の不満をなくすことをみんなで論議する中から、法務局でも謄本を取るのに1日もかかってしまう現実にも直面しました。住民票や戸籍謄本、役所手続きも煩雑な現実。身近なところに市民が納得がいかないことがゴロゴロしていることを感じ取ることができました。だからこそ、こんな不満を失くすことを訴えれば、たくさんの有権者から支持を得ることができると思ったのです。
そして、ビジネスでもお客様にとって便利なもの、役に立つことは必ず成功すると直感したのです。ほんのひとつのきっかけから、ヒデミツは新しいビジネスを打ち出していくのです…。(以下次号) |
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| 情報通信ネットワークの佐野秀光社長が出会ったたくさんの人々。当時23才のヒデミツが応援した横山正人さんの市議会議員選挙こそ、公簿取得代行業を起業する出発点となった連載企画の第4弾です。 |
【第19話】
■動物的嗅感をもつヒデミツ■ |
| 横山正人さんの選挙には、色んな人たちが集まりました。世代に関係なく幅広い層の人々です。これが選挙の醍醐味のひとつです。この輪の中に、法務局勤務の父親を持つ仲間がいました。ヒデミツは、友人の父親から公簿取得代行業を始めるアドバイスをあたたかく受けました。登記については素人であっても、お客様に役立つサービスを起ち上げる事に賛同を頂き、40年もの法務行政のキャリアを伝授して下さったのです。これも横山さんの選挙運動を通した輪の中から生まれたものです。横山さんは「彼は動物的な嗅感をもっている」とヒデミツを表現しています。自ら切り開いてきたネットワークの中で、人を動かし、ビジネスモデルを構築していく起業家ヒデミツは横山正人さんの初めての選挙で、花開くきっかけが生まれました。まさに横山さんは大恩人のひとりなのです。(完) |
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