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ヒデミツの商い

第11章

カテゴリ:ヒデミツの商い

【36才の支社長と25才の社長】
 金融機関A社の突然の取引停止から発奮したヒデミツは、とにかく働き ました。給料をゼロにしてまで夫婦2人3脚での頑張り。売上も大口取引 停止前にまで戻り、順調な右肩上がりが続いていました。 ある日、上場をめざしていた情報通 信ネットワークに野村證券の地元支店 長さんが訪問。「上場をめざす地元企業を応援します」と力強い激励を受 けました。当時地元の支店は野村證券では120店舗中100番目位にラ ンクされてしまいました。36才という野村證券では全国最年少支店長さ んの着任でベスト10にまで業績を向上させた"伝説の営業マン"支店長 さんと出会うことができたのです。36才の支店長さんにとっても初めて出会う支店長よりも若い25才のヒ デミツです。いままで出会った企業トップでは年下の人には会ったことが なかったのです。年上の経営者だけが取引相手であり25才の青年社長の 存在は驚きだったのです。 

【早朝始業を見習う】
 野村證券の1支店を、わずか半年でベスト10にまで押し上げた原動力 は早朝始業です。午前6時20分出社。365日24時間体制で仕事に取 り組み、猛烈なビジネス展開をしたのが36才の支店長さんです。この若 い行動的な支店長さんとは波長もあってスポーツジム、カラオケ、お酒、 食事など週に何回もご一緒になる関係になりました。ヒデミツはじっと野 村證券の営業手法を観察していたのです。 まず野村證券ナンバーワンの早朝出社によって業績を向上させたことに注目。他の業者が始業する前から準備をすすめ、他の業者が始業と同時に一 斉に営業活動にはいることは本当に効果的。情報通信ネットワークも法務 局の開く前に司法書士さんに発注することで午前中いちばんの取得が可能 となるのです。まさに午前7時から午後11時までセブンイレブン体制を 社内に敷いたのです。社長自らが給料ゼロで頑張っているんですから社員 も当然頑張って欲しいという気持ちが強かったからです。

【トップ営業を学ぶ】
 野村證券支店長さんから学んだもう1つの手法はトップ営業です。決定 権のある人物と接触しなければ営業は決まらないということです。信販会 社に行ったとき、最初は快く会ってくれたのですが、2回目からはアポも とれない日が続きました。担当者にだけ交渉していてもスムーズに流れま せん。何度も電話をかけたり会社を訪問しても社長とは会うことができな かったのです。 ヒデミツは張り込みを試みました。午後3時から会社の前で社員2人とと もに張り込みを開始。帰りにどこかお店にでも寄ったら偶然会ったかのよ うに振舞おうとか、見てはいけないプライベートな場面を見たら、どうし ようかなどとあらぬ 想像をしていました。チャンスは4日目にやってきま した。社長は電車にのって帰宅するようです。「こんにちは」ヒデミツは 明るく社長に声をかけました。社長の自宅は調査していましたから、どこ まで帰るのかはわかっています。 ヒデミツの自宅のある蒲田を経由して帰る社長には偶然を装って「どこま で帰るんですか」「ボクと同じ方向ですね」と会話を弾ませました。ヒデ ミツは蒲田駅を降りる時にはもちろん社長とのアポは取っていたのです。 こうしてトップ営業に成功して取引が開始されたこともありました。支店 長さんから学んだ成果のひとつです。 

【社長と社員のズレ】
  ヒデミツは「会社を上場させたい」との一心で働きました。当時は公開ブ ームが始まっており、社員たちもこの夢を共有することで頑張ってくれる ものだと思っていました。だからこそセブンイレブン体制で社員を引っ張 っていても社員は必ずついてきてくれる、みんなで上場をめざそうと頑張 っていました。 しかし社員に持株制度を提案しても反応はありません。ヒデミツはどんな 時にも公簿取得代行業のトップを走り上場をめざす夢を語っていました。 夢があるからこそ中小企業の情報通 信ネットワークでも、社員一丸となっ て働くことができるとヒデミツは信じていました。ヒデミツの考えを社員 一人一人に伝達する社内体制を作っていきました。しかし、一方通行の上 意下達の社内システムが知らず知らずのうちに作られていたのです。

【反論できない社員の現実性】
  ヒデミツと社員にできた意識のズレは、やがて社内に波風を立てることに なりました。朝7時30分に出社して社員たちに指示を出し朝9時には営業現場で打ち合わせ、来客は日中をさけ夕方に集中、夜には社員一人一人 が書いた日報を読むという効率的な日程管理の下で社内を引っ張っていき ました。社員には時間外手当や給料アップ、ボーナス優遇など金銭面では 不自由をさせる待遇ではありません。けれども休日出勤があったり毎日の 勤務時間が長かったり、自由な時間がとれないことも事実です。「お金よ りも余裕の暮らし」を主張されれば反論はできません。「夢よりも今の充 実」を求められれば反論はできません。社長のヒデミツと社員を描くもの に明白なズレができてしまったのです。 いままでは、がむしゃらにヒデミツは社員をひっぱってきました。自らの 思いを一方的に社員にぶつけていました。しかし、経営者と社員の意識は 違います。自分の成長よりも会社の成長が早いと、20代の社長は追放さ れてしまった知り合いベンチャー企業も教訓になりました。会社経営は決 して楽ではありません。自分の給料はゼロ、社員には従来以上に給料、ボ ーナス支給をしていたのですから健全な会社経営ではありません。 会社が厳しければ社員にも多くの課題を与え、ヒデミツが先頭を走ってい たのでは、とても社員の気持ちも理解する余裕がなかったのです。

第12章

カテゴリ:ヒデミツの商い

【創業時メンバーが退職】
  情報通信ネットワークが公簿取得代行業を始めた頃の主力メンバーであ る東京本社本部長、大阪支店長の2人から退職の申し出がありました。ヒデミツの猛烈営業についていけないということです。上場をめざす夢より も現在のゆとりのある暮らしを求められたのです。ヒデミツにとっては引き止めることはできません。彼らが普通の会社にしたいと願っても上場を 目指す勢いを止めることはできません。彼らが普通 の会社にしたいと願っても上場を目指す勢いを止めることは無理。公簿取得代行業界のトップを 走り続けることが、情報通信ネットワークを大きくしてきた原動力なんで す。ここで手を緩めることは後退、敗北です。早朝出社365日24時間 体制を変えれば、せっかく大口取引停止から立ち直った会社が元に戻って しまうことが目にみえていたからです。走り出している会社のスピードを 落として歩いていたのでは公簿取得代行業界では追い付かれ、追い抜かれ ることは明白。やっと猛烈営業で業績を回復した社内体制を変えることは とても無理だったのです。 

【頭の中は真っ白】
  水戸黄門で言えば助さん、格さんが突然いなくなって八兵衛だけになっ てしまったことです。ヒデミツを創業時代から支えてきてくれた2人の退 職で頭の中は真っ白。金融機関A社の突然の取引停止のように「どうしよ うか」不安ばかり浮かんできます。そして2人の退職に呼応するかのよう に社員がやめていきました。「先輩がやめるから」という理由がほとんど です。早朝出社、猛烈営業についてくることができなかったからです。毎 日、朝早くから会社に行くとか、日報を提出することが面倒だったのです。 社員は辞めては補充、退職、募集を繰り返し約8割のメンバーが新しくな っていきました。けれども社員が変わっても売上は順調です。古い社員が いなくなって、新しい社員ばかりですから人件費は削減。経営的にはプラ スなのです。ヒデミツが作り上げた公簿取得代行業のビジネス構築がしっ かりしていたからこそ情報通 信ネットワークは機能していたのです。ヒデ ミツ達が作ったマニュアルで新入社員もその日のうちから始動ができまし た。人が変わってもシステムそのものには、影響が少なかったのです。

【裸にされてしまう】
  情報通信ネットワークの主力メンバーがいなくなったことでヒデミツは 裸の王様になってしまいました。ヒデミツの右腕左腕がもぎとられ、社員 たちが次々と離れていくことは着ている洋服が一枚一枚はがされていくよ うです。まるで裸にされているようでもあるんです。ブルブルと震える毎 日でした。金融機関A社の突然の大口取引停止よりも身内の社員が居なく なることは落胆が大きかったのです。大口取引停止も大変な出来事でした が、ヒデミツを先頭に社員一丸となって難局を乗り切った勢いがありまし た。会社の危機にみんなが頑張ったんです。「なんとかしよう」社員たち と真剣に会社の未来を話し合ってきたんですから精神的にはすごく楽でし た。自分1人ではなく、みんなと働いている喜びを共有していたからです。 

【ここで敗けてはいけない】
  ヒデミツは、こんどは夫婦2人で情報通信ネットワークの未来を考えま した。会社を立ち上げた時、大口取引停止の時のように夫婦2人が頑張れ ば、何とかなると思ったのです。「社員を大事にしないから離れていった のか」「もっとお金を出せばよかったのか」コミュニケーションが不足し ていたのか」などなど反省ばかり。いま勝負の時ですから社員が変わるこ とで情報通 信ネットワークをもっと発展させることに全力を挙げたのです。 これが早朝始業24時間体制での猛烈営業でした。 

【直ちに反転攻勢】
 2人の幹部社員の退職と同時にヒデミツは直ちに反転攻勢。妻を大阪支店に派遣して、体制の立て直しを図りました。1ヶ月大阪のホテル暮らし での24時間体制の展開です。社員たちの動揺をおさえ、あらたな営業戦 略を推進する人材として送り込んだのです。ヒデミツの営業戦略をもっと も知り尽くしている妻の派遣で幹部社員が居なくなったマイナスを補うこ とができました。支店長が居なくなった椅子には、ぬくもりが冷めないう ちに妻が座ったことで、士気の低下を食い止めることができました。当時 の大阪では、公簿取得代行業者がいません。全国展開をしている同業者が 存在しないことも良い結果 を生んでくれました。そしてヒデミツは東京本 社で陣頭指揮、ガムシャラな営業展開に没頭しました。こうしてほぼ1ヶ月で体制の立て直しに成功したのです。 

【人材育成を痛感】
  社内をひとつにまとめなければならない。ヒデミツが今回2人の幹部社員が退職したことから学んだ教訓です。特に毎日顔を合わさない支店では ヒデミツの考えを社員1人1人にまで浸透させることには大きな労力を要 します。大阪では妻の派遣で、社員たちに対して自らの営業指針を示すこ とで大きなやる気を起こすことができました。どうしても一人だけの力で は会社組織を動かすことには限界があり、自らの考えに同調する人材の必 要性を痛感したのです。いつまでも妻と離れての暮らしには不自然です。 人材育成こそ情報通 信ネットワークの展開に直結することを感じました。 妻以上に自らの営業指針、営業戦略を理解できる人材を求めることに力を注いでいきました。 

【新たな前進】 
  かって金融機関A社からM&A企業買収の話から、ヒデミツは情報通信 ネットワークの価値を改めて知りました。さらには大口取引停止にもかか わらず、ただちに売上を回復したことで情報通信ネットワークへの資本提 携の話が銀行系、信販系から相次いで誘いがありました。けれどもヒデミ ツは誘いにのることなく上場をめざす経営戦略を展開。創業時からの幹部 社員が離れていったことを反省。ヒデミツの思っていること、ヒデミツが 考えていることを社員1人1人に伝達する人材がいなくては自らの考えを 指示、徹底することができないことを知りました。このため新たに2人の 人材を登用。1人を外まわりの営業の第1線に、1人を内部の手配業務の 中核に配置しました。2人はヒデミツの営業戦略を理解できたらこそ入社を決意。ヒデミツの夢の実現を共に目指していくことになりました。新た な前進の始まりです。

第13章

カテゴリ:ヒデミツの商い

【"早さ"で勝負】
  新たな人材登用で営業部隊を再編成。新規開拓に全力を挙げることになりました。ビデミツの指示でホワイトボードには訪問リスト表を書き込み、選挙の当選バラと同じように取引が始まった企業にはバラの花を付けていきました。半年間でほぼ9割の達成です。すでに他社が進出している企業もあり、情報通 信ネットワークは「早さ」と低価格で切り込んでいったのです。営業部隊はみんなビデミツの営業戦略を理解していた社員です。ヒデミツが語る「謄本取得の便利さ」、ヒデミツが訴える「最速2時間で取得」、ヒデミツが作り上げた「全国の司法書士さんとのネットワーク」などなど、まさにヒデミツの分身が営業現場に登場していきました。ヒデミツの考えを直接お客様に届ける社員が情報通 信ネットワークには生まれたのです。 

【駅前ではポケットティッシュを配布】 
  地元JR蒲田駅には午前7時前からヒデミツはポケットティッシュ配りに立ちました。消費者金融会社が配布しているポケットティッシュ広告です。情報通 信ネットワークの便利さを、企業だけでなく、個人のお客様にも新規開拓しようと頑張りました。さらには法務局周辺でも、謄本取得にやってくる人たちにもポケットティッシュを配布。単なるチラシではなく手元に残る広告媒体として、ポッケとティッシュは情報通 信ネットワークの知名度アップを果たしてきたのです。 

【調査員体制を敷く】 
  2人の幹部社員に続き、人材を次々と発掘していきました。同業社で調査員を担当していた人の入社を契機に情報通 信ネットワークは首都圏100人調査員体制が確立できました。車両登録事項証明書、住民票取得の体制が整えられ、ヒデミツは事業拡大に熱中。 営業部隊は拡大路線をまっしぐらです。謄本取得代行業では業界ナンバーワンの口コミも拡がり、お客様からの電話での依頼も増え続きました。営業をかけなくても注文がくる様な感じですから右肩上がりです。 

【社内体制の確立】
  仕事は楽に取れるのに、こなすのが大変でした。スピードを何よりも大切にしてきたことで、お客様からの信頼も高まり、注文がコンスタントに入ってきました。この仕事をこなる社内体制の確立が急務となりました。毎日のミーティングでは意志の疎通 を大事にすると共に、手配業務の確率化もヒデミツ自らが押し付けるのではなく、社員みんなの力を信じました。効率化は社長からの発想ではなく、情報通 信ネットワークを発展させたいという社員みんなが考えていくものをすすめました。 細かなことでヒデミツが口をはさまなくても、会社運営はスムーズに行くシステムがつくられていったのです。

【売上、利益は絶好調】
 
  24時間休まない猛烈営業の展開。ヒデミツの意を汲んだ社員たちの働きで、情報通 信ネットワークは順調です。他の業者に負けないように料金競争でも、コスト削減に力を入れて戦って行きました。常に緊張感ある営業の展開です。内部の社内体制でも手配業務でもヒデミツの分身とも言える人材を登用した結果 、社長が不在でもヒデミツの指示が全社にいきわたるようになっていったのです。大阪支店の建て直し完了。名古屋支店も開設するなど売上、利益ともに絶好調です。

【妻が第一線から退く】
  次々とあらたな人材をヒデミツ自らが説得して登用していった結果、社内では指示が徹底する体制がつくられていきました。このため、いままではヒデミツの指示を全社員に伝えるのは妻しかいなかったのですが、ヒデミツの意を受けた社員の誕生でスムーズに会社運営ができるようになりました。妻は常勤から非常勤となり、いままで一心同体で会社運営に果 たしてきた役割を社員に任せることになりました。ヒデミツがみんなの力を信じ、社員と共に情報通 信ネットワークを発展させる決意表明でもあるんです。あらたなページを開く出来事です。

第14章

カテゴリ:ヒデミツの商い

【札幌支店を開設】
  売上げ、利益が絶好調ですが、ヒデミツは攻撃の手を緩めることはありません。大阪支店の成功をバネに北海道進出をはかりました。当時の札幌では、公簿取得代行業者は北海道だけをエリアとする1社だけが存在。人件費も安く需要が大きな北海道進出は魅力的でした。情報通 信ネットワークのお客さまは従来から点での存在でした。しかし、札幌支店の開設で面 への移行が可能になるはずです。支店開設前から仕事の受注はあったのですから簡単に売上げが右肩上がりになるとヒデミツは楽観していました。 

【反撃開始】
  北海道はモンロー主義が強い土地柄です。地域密着型の営業展開でも、東京からの業者を排除する企業が多いことにヒデミツは一捻り。道内業者にはできずに東京の業者に出来ることは東京に本社のある企業と本社契約が取れることにあります。いくら地元業者といえども、本社の指示に逆らってまで仕事を取ることは出来ません。東京の本社サイドで熱心な営業を続ければ全国の支店、支社からでも発注がでてくるんですから道内の企業を訪問することよりも東京本社の訪問に力を注いだのです。 

【札幌冬の陣】
  ヒデミツは札幌攻略しか頭にありません。地元で契約が取れないのなら東京でひっくり返すと社員達にハッパをかけました。「今、切り換えればお得です」とシュークリームを持参して営業活動を展開。東京本社から指示の出ている企業には特に熱心にアタック。道内業者との激突です。情報通 信ネットワークもかっては安易な経営戦略で危機を迎えた苦い経験もあります。しかし、道内業者は1社独占のぬ るま湯の中での企業体質ですから、百戦練磨のヒデミツ達の相手ではありません。わずか半年で札幌支店は黒字に転じ、道内シェアも過半数を占めるトップにつくことができました。ヒデミツが仕掛けた札幌冬の陣の勝利です。 

【組織の若返り】
  大阪、札幌支店の活動が順調の中、東京本社では組織の若返りを目指していきました。情報通 信ネットワークは今までは金融機関を中心とする企業がお客さまですが、これからは一般 の顧客を狙うことを視野に入れた営業戦略をヒデミツは考えていました。一般の人達の営業ツールはパソコンです。業務の標準化、コンピュータ化を目指していったのです。このためパソコンについていける人材が社内には必要になってきます。組織の活性化、業務拡張には大幅な人材の入れ替えが求められたのです。新規募集も30歳までと若い人材をどしどし登用していきました。

【システムの開発に全力】
  誰もが同じマニュアルで仕事ができるようにするシステム開発に力を入れました。パソコンを導入すれば今まで10人でこなしていた仕事が5人でこなすことも可能です。ベテランでなくても業務を標準化したシステムを構築すれば低コストを実現できるわけです。社員の給料を減らせば当然社員達は反発。経営者の頭の中はいつも"低コスト"です。パソコン導入でも経営者は賛成しても社員達は反対。経営者の頭の中は会社の"生き残り"です。パソコンの扱い方をマスターすることに抵抗のある社員も多く、社内でも反対論が強かったのです。業務のコンピュータ化は前途多難です。