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ヒデミツの商い

第2章

カテゴリ:ヒデミツの商い

【難病が発症】
 1979年夏、次の休み時間が待ち遠しいほど水が欲しいと「喉が乾く」、階段を上り下りするにも「体がだるい」といった症状を両親に訴えました。ヒデミツの訴えに驚き、すぐに近くの東邦医大病院に駆け付けました。この時下された診断は「即入院」という信じられない結果 でした。病名は「インスリン依存型糖尿病」です。体の中からインスリンを生み出す機能がまったく働かない、日本では4000人に1人という特異なものです。入院は約5ヶ月も続き、学校に通 えない毎日でした。

  病院では、特別の手当をするわけではなく、食事制限の栄養指導や血糖値を自分で測ること、インスリンの注射を自分で打つことの指導が行われました。また、週2回は学校の担任の先生が病院にやってきて勉強を教えてもらったり、縄跳び、階段で歩くことなど運動をすることへの習慣付けの訓練で、学校の授業には遅れをとることはありませんでした。

【逆境をバネに】
 退院の時一番ショックを受けたことは、毎日4回も注射をうち、血糖値を測ることを申し渡されたことです。入院中だけのことと思っていたことが、これから一生続けなければならないことが悲しかったのです。しかしヒデミツは「悲しい」などと否定的になることではなく、ハンデを乗り越えるためにひたすら勉強することで悲しさを吹き飛ばそうと頑張りました。帽子やランドセルには黄色のカバーがつけられたり、体操着は普通 の子と識別されるものでした。けれども、このハンデは勉強することで乗り越えられるとガムシャラに机に向かうことで成績はほぼオール5。クラス、学年トップを維持しました。