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ヒデミツのこだわり

第16回 次々と新戦略を打ち出す

 当時、自民党から29才で選挙に出るということは画期的なことでした。古い人たちが選挙事務所に集まり、切り盛りしていました。23才のヒデミツが参謀になるなど考えられません。学生時代から仲間と共にビジネスを起こしたヒデミツの手腕や感覚を選挙事務所のノウハウに生かそうと、横山正人さんが起用したのです。

 ヒデミツの発想は、いつでも新鮮です。従来の選挙運動を踏破するのではなく、常に新しい戦略、戦術を考え、実行、そして成果を求めるフロンティア精神に溢れていました。ポスター、ビラ、のぼり旗、街頭演説、集会などひとつひとつが、ヒデミツのみずみずしい感性から生み出され、相手陣営には脅威を与えるものでした。さらにみんなで考えた選挙必勝の秘策こそ、ヒデミツの人生にとって大きな転機となっていくのです...。(以下次号)

第17回 次々と新戦略を打ち出す

 ポスターやビラをいかに斬新なものにしても、選挙に勝利するわけではありません。29才の候補者を当選させるためには、多くの市民が共感する政策を提言しなければならないと、ヒデミツは考えました。このため、みんなが納得がいく政策を掲げることで、若くても信頼ができる政治家をアピールできると思いました。

 当時は駅前で住民票を交付してもらう行政サービスが始まったばかりでした。もっとサービスコーナーを増やしたり、住民が無理なく行政サービスを受けられる政策を訴えていきました。当時では考えられない「自動交付機設置」を提言するなど、まさに先進的な政策です。横山さんが掲げた身近で、わかりやすい市民サービスの充実は、たくさんの人たちの共感を頂きました。この公約づくりに費やした情熱こそ、ヒデミツにとってはとても重要なプロセスだったのです...。(以下次号)

第18回 ひとつのきっかけから

 横山正人さんの選挙を通じて、単なる選挙スタッフとして頑張ったヒデミツではありません。「サービスコーナー設置」の公約から、お役所手続きに市民の不満が多いことをハダで感じました。市民の不満をなくすことをみんなで論議する中から、法務局でも謄本を取るのに1日もかかってしまう現実にも直面しました。住民票や戸籍謄本、役所手続きも煩雑な現実。身近なところに市民が納得がいかないことがゴロゴロしていることを感じ取ることができました。だからこそ、こんな不満を失くすことを訴えれば、たくさんの有権者から支持を得ることができると思ったのです。

そして、ビジネスでもお客様にとって便利なもの、役に立つことは必ず成功すると直感したのです。ほんのひとつのきっかけから、ヒデミツは新しいビジネスを打ち出していくのです...。(以下次号)

第19回 動物的嗅感をもつヒデミツ

 横山正人さんの選挙には、色んな人たちが集まりました。世代に関係なく幅広い層の人々です。これが選挙の醍醐味のひとつです。この輪の中に、法務局勤務の父親を持つ仲間がいました。ヒデミツは、友人の父親から公簿取得代行業を始めるアドバイスをあたたかく受けました。登記については素人であっても、お客様に役立つサービスを起ち上げる事に賛同を頂き、40年もの法務行政のキャリアを伝授して下さったのです。これも横山さんの選挙運動を通した輪の中から生まれたものです。横山さんは「彼は動物的な嗅感をもっている」とヒデミツを表現しています。自ら切り開いてきたネットワークの中で、人を動かし、ビジネスモデルを構築していく起業家ヒデミツは横山正人さんの初めての選挙で、花開くきっかけが生まれました。まさに横山さんは大恩人のひとりなのです。(完)

第1章

【ひとりっ子誕生】
 1970年(昭和45年)9月30日、父は親族が経営するガソリンスタンドに勤務する佐野光雄、母は教員である恒子の長男としてヒデミツは東京都大田区で生まれました。O型てんびん座です。2400g という小さなカラダでしたが、母方のおばあちゃんに一人っ子として大事に育てられました。父は、会社に、母は教員として学校に行ってしまうため、ヒデミツはおばあちゃん子でした。

 3歳の時、英語塾に行きたいと両親に頼みましたが「まだ早いわ」と断られてしまいました。しかし、ヒデミツはあきらめることなくおばあちゃんと一緒に英語塾を訪問。入学金、学費をすべて、おばあちゃんに出させることに成功。入塾を果たすことが出来ました。これはヒデミツのおぼえている初めての出来事であり、今日の原点のような気がします。西蒲田保育園、幼稚園に通 う頃は、家のそばの駐車場で自転車に乗って遊んでいました。乗り物が大好きな活発な子供でしたが、夢は宇宙の果てを探す博士になりたかったようです。卒園文集で将来の職業の欄には「こっかいぎいん」と書くなど、ひと味違うヒデミツ少年です。まわりには、政治家は一人もいなくても志は幼稚園の頃から高かったのです。  

【父の教育方針】
  大田区立相生小学校に入学すると、父はヒデミツに次のような3つの課題を与えました。ひとつ目は、わからないままにも新聞を切り抜き、その感想文を書くことです。B5版のノートの左に新聞の切り抜きを貼り、右の部分にその記事の感想文を書きました。小さな頃は、記事よりも写 真が大きなものを選んで書いていた様です。

  ふたつ目は、テレビに向かってアナウンサーに話し掛けることです。父のひざの上でテレビを黙ってみるのではなく、アナウンサーにどんどん勝手に質問をしていくのです。「このネクタイは気に入らない」「○○とはどんなことか詳しく説明を」「本当にそうなのか」などなど。大人とのバーチャルな対話を求められていたのです。

  みっつ目は、テレビはニュースしか見られないことです。両親からは「勉強しなさい」などと強要されたことは一切ありませんでしたが、普通 の子供達の見るマンガや娯楽番組をみた記憶はヒデミツにはありません。こうして、父からは知らず知らずに勉強への自立心を植え付けられていったのです。しかし、小学校3年生の時、突然ヒデミツは半年間休学となりました。いったいヒデミツの身に何が起こったのでしょうか・・・。