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ヒデミツのこだわり

第10回 特異な病気が判明した小学生のヒデミツ

 小学校5年生の夏、ヒデミツは次の授業が待ち遠しいほど「水が欲しい」、階段を上り下りするにも「体がだるい」といった症状を両親に訴えました。この訴えに驚いた両親は、すぐに近くの東邦医大病院にかけこみました。この時、下された診断は「即入院」という信じられない結果でした。病名は「インシュリン依存性糖尿病」です。体の中からインシュリンを生み出す機能がまったく働かない、日本では10万人に8人という特異なものです。入院は5ヶ月間にも及び、高学年になったヒデミツは大ピンチ。そして入院中だけでなく、これから毎日一生涯にわたり注射を打たなければならないことは、5年生の子供にとっては大ショックです。両親の驚きはもちろんのこと、人生が終わってしまうくらいの暗い空気が佐野家を襲ったのです。けれどもヒデミツは、自ら教科書を開き、自ら勉強する時間を作りだし前向きでした。この明るい姿勢が自らを救うことになるとは、当時のヒデミツは知る由もなかったのですが、その時......。

第11回 ハンデを乗り越えるためにヒデミツは......

 特異な病気だからといって、ヒデミツは悲しいなどと否定的になることはありませんでした。ハンデを乗り越えるためひたすら勉強することで、暗さを吹き飛ばそうと頑張りました。ヒデミツが病気に負けることなく入院していることを両親から聞いた担任の守長先生は、ヒデミツの頑張りにさらに力を貸してくれました。

 病気との闘い、勉強への執着。ヒデミツの小さな挑戦や子供を想う両親の真剣な姿に、心打たれた守長先生。入院先の東邦医大病院に、週2回勉強を教えにやってきてくれたのです。家族以外は面会ができない状況でしたが、病院内の一室を自習室に提供していただき、個人授業がスタートできました。

 5ヶ月間にもおよぶ入院生活でも、ヒデミツは普通の生徒に遅れることなく、勉強ができました。当時を振り返り守長先生は「頑張った努力は並ではない」とヒデミツの勉強ぶりを語っていますが、その努力とは......(以下次号)。

第12回 ヒデミツの両親に感動した守長先生

 入院先の病院で授業を受けるなんて、当時、東邦医大病院では初めての出来事です。公立学校の先生が、ボランティアで入院中の生徒を見てくれることは考えられないことなのです。守長先生は「子を想う両親の姿を見れば当然のこと」と軽く受け流していますが、ヒデミツにとっては忘れることのできないこと。特異な病気が判明し、挫折してしまうのが当たり前ですが、勉強に遅れることはありませんでした。外で運動ができないヒデミツにとっては縄跳びも出来ないので階段を歩く事で補うようにしていました。

 運動への習慣付けの訓練まで行うなど、まるで学校の授業と変わりません。守長先生の授業がなければ、いくらヤル気を出していたヒデミツでも挫折してしまうことでしょう。「基本がしないものに未来はない」と守長先生の教えは、難しい授業ではなく、ごくごく当たり前のことを徹底的に教えることが基本でした。病院内で限られた時間での授業だからこそ、ヒデミツの集中力も養われていったのです。この守長先生の学習法の秘策とは ......(以下次号)。

第13回 基礎を徹底的に学んだヒデミツ

 守長先生の教えは「ラクする教え方」。講義は1回か2回でわからせれば、あとは余暇に使えるわけですから、基礎学力を作ることだけに集中していました。普通の子供のように毎日学校に行くわけではなく、少ない時間で最大の効果を生まなければ、授業についていけません。時間をかけない守長式省エネ授業だったのです。守長先生は当時は40代半ば。教師にとっていちばん脂の乗り切っている時代です。この輝いている時代に出会ったことは、ヒデミツにとっては幸運だったのです。当時は黙読を教えていた学習法でしたが、ヒデミツは声を出して教科書を読んでいく音読を教えられました。1人静かに本を読むことより、たとえ1人でも声を出せば元気になります。守長先生の教えはヒデミツにとっては宝です。大事な先生を1人占めできる機会を与えられたのですから、先生の期待に応える気持ちが、勉強をさらに進化させる結果になっていったのです。そして......(以下次号)。

第14回 どこまでも明るいヒデミツ

 守長先生にとって、ヒデミツのような印象深い生徒は、44年間の教員生活の中で「4~5人しか頭に浮かばない」と語っています。「がんばりがきく」、「人と考えが違う」ヒデミツの少年時代は鮮明に憶えているのです。作文を書いても「自分はこう思う」と小学生でも自らの考えをもっていた生徒でした。先生が教えれば教えるほど、一生懸命受け止めてくれることが、より教えたくなるヒデミツの存在だったのです。特異な病気が判明した時に、守長俊之先生と出会ったことは、ヒデミツにとっては生涯忘れることができないもの。帽子やランドセルに黄色のカバーをつけられたり、体操着を普通の子と識別されましたが、守長先生はそんな差別をなくし、学校ではごくごく普通の子供のようにして下さったことが、ヒデミツは嬉しかったのです。これから一生続く病気との闘いに、明るい展望を拓いて頂いた守長先生は、まさにヒデミツの大恩人なのです。