日本初への挑戦!情報通信ネットワークは
「便利だね」が励みになります

ヒデミツのこだわり

第7章

【自民党学生部に入部】
  1993年3月にヒデミツは日本大学経済学部を卒業しましたが、在学中は 一橋ゼミナールの紀岡直樹代表にすすめられ、自由民主党学生部に在籍して いました。学生部は政権与党である自民党の活動を支援する学生組織であり、 様々な大学の学生との交流が出来ました。ビジネスに熱中することばかりで なく、お医者さんや議員さん、官僚を目指す人々と知り合ったことは大きな 刺激となりました。お金を儲けることばかりでなく未来への夢を語り合うこ とは起業家をめざすヒデミツにとっては重要なことなのです。 

【ナマの国会議員を知る】 
  選挙になると学生部はフル回転。東京都内のポスター張りからビラ配布、演 説会の準備、選対本部要員などなど学生部の活動にのめりこんでいったので す。こんな選挙のお手伝いをする中でもヒデミツはビジネスへのヒントは忘 れません。どんな分野でもビジネスは成り立つと思っていました。選挙の前 には大量 のポスターを街中に張らなければなりません。選挙になれば宣伝カ ーのウグイス嬢、候補者が街頭に立てばビラを配ったり、のぼり旗を立てる 運動員が必要です。ヒデミツはより活動的な、エネルギッシュな学生を集め たり、女子大生のウグイス嬢を確保していきました。 子供の頃の夢であった「こっかいぎいん」という職業に間近で触れたことで、 さらに政治への興味が沸いてきたのです。 

【政治でもビジネス手法を発揮】 
 すでに学習塾の講師派遣を行っていたのですから、こうした政治活動におい てもウグイス嬢や学生ボランティアを集めることは難しいものではありませ んでした。選挙前の政治活動では公職選挙法の制約がありませんから学生バ イトは自由に活用できます。立候補予定者にダイレクトメ--ルで派遣の売り 込みを開始。日本全国、毎月どこかで選挙が行われているため関東近県ばか りでなく岡山や広島にも派遣の依頼がありました。 今では珍しくはないのですが候補者の等身大の看板ポスターを売り込んだり、 ポスター張り要員の派遣など手広い営業活動を展開。さらには、学生部の先 輩が立候補する時にはポスターやビラの製作、学生アルバイト、ウグイス嬢 の手配、演説会集会の設定、企業団体訪問など選挙参謀として活躍。まさに 選挙の醍醐味を体感していったのです。 

【公選法の壁にぶち当たる】 
  平成5年の総選挙では国政をめざす新人候補者を応援、当選させることがで きました。この時ヒデミツは数百人規模の人材を派遣していきましたが、公 職選挙法という大きな壁があり、学習塾の講師派遣のように自由にビジネス をしていくことができない限界を知りました。公職選挙法がある限りビジネ スとしての未来が見えなかったのです。電話作戦の要員派遣にあたっては、 取締当局からの指摘もあってボランティアでした。選挙前はアルバイトは自 由に活用できますが選挙期間中は全員がボランティアですからビジネスには なりにくかったのです。 

【本物のビジネスを求めて】 
  この頃ヒデミツは自販機の設置ビジネス、選挙グッズの販売、講師派遣、学 習塾など様々な分野での営業活動を展開していました。こうした活動の中で、 いよいよ情報通 信ネットワークの基礎となる公簿取得代行にあたってのヒン トが生まれていったのです。商売とは日本国民が最低1年に1回は使うもの を考えるべき。派遣業とか単なる物を売るだけでは限界があります。ヒデミ ツは売上が1兆円を超える商売こそ本物のビジネスと考えるようになってい ました。

第8章

【公簿取得代行業のスタート】
 1995年1月、ヒデミツは全国の不動産、会社登記簿謄本の配達業務 を開始するため首都圏を皮切りに全国の法務局最寄りの司法書士、行政書 士事務所を訪問。公簿取得代行業への協力をお願いすることになりました。 今日の情報通信ネットワークの始まりです。

  ヒデミツにとっては、法務局の謄本などとは縁がありませんでした。先 輩が埼玉 県議会議員選挙に出馬する時、ポスターやビラの製作と共に政策 づくりも担当することになりました。 
「役所の窓口は不親切」
「駅前に市役所の窓口が欲しい」
「謄本はどの法務局でも自由に取れたら良い」
「法務局の混雑緩和」 
「もっと市民のための行政サービスを」
などなど様々な「市民サービスの充実」を県議選での政策を取り入れ ていったことがビジネスのヒントとなりました。

  もともと、ヒデミツは会社の設立登記は司法書士さんに頼むのではなく、 自分で申請しました。会社の仕組みを理解するためにも自らが汗を流すべ きと思ったからです。 法務局は「えらい混み合っている」ヒデミツの第1 印象でした。なぜこんなに混んでいるのか不思議でした。それはお客様が 申請を出して、30分、40分もかかるため、どんどん申請者はたまってしまうからです。みんな黙って待っていることはさらに不思議な光景でした。

【お客様が役に立つビジネス】
 県議選で打ち出した「市民サービスの充実」はこうしたヒデミツの体験 に基づくものです。市民が求めているものはお役所仕事の便利さでした。 法務局でみた、謄本をとりにくる人の多さと待っている時間のロスから公 簿取得の代行業を考えていきました。県議選の政策でも「市民サービスの 充実」は最も浸透しやすい訴えであり、強い市民の要望だったのです。謄本を申請して手にするまでひたすら待ちつづける時間のロスはヒデミ ツにとっては苦痛なもの。だからこそもっと効率的に取得が出来ないもの かと考えていったわけです。

  まず同級生の父親が永年法務局に勤務したあと、公証人をしていること から公簿取得代行業のプランを相談しました。40年近くも法務行政に携 わってきた元横浜地方法務局次長の国松新成さんです。 役人とは役に立つ 人、法務局の窓口に相談にきた人を大事にすることを後輩に指導してきた だけに、ヒデミツが考えているお客様の立場に立ったサービス、みんなが 喜ぶ事業計画に感動。「司法書士さんが協力してくれるなら良いビジネス ですね」というアドバイスを受け1995年1月の公簿取得代行業のスタ ートとなったのです。

【あらたな顧客開拓】
 最初は登記簿謄本をとるのは弁護士さんや税理士さんが主流と思ってい たヒデミツは名簿を片手に電話やFAXで代行業のPRを展開していきま した。「謄本を取る会社です。1都3県なら2時間以内でFAXします」 などと呼びかけ、お客様を増やしていきました。

  現実は厳しいもの。1週間に数件しかお客様からの注文がない時もあり ました。けれどもくじけることなくフランチャイズ制も取り入れ、1都3 県のエリアの司法書士、行政書士さんとの提携を進めていきました。このフランチャイズ制は福の神となりました。

  ある日代理店からスバル興産という車販売のクレジット会社から毎日15 件くらいの注文が入るようになったのです。ヒデミツは謄本を使うのは弁 護士さんや税理士さんばかりと思っていたのが、リース会社、クレジット 会社、金融機関が大量 に謄本を取っていることを初めて知ったのです。弁護士さんや税理士さんの個人事務所に比べ、クレジット会社等の注文 はケタ違いに大きいものでした。ヒデミツの営業活動にもムチが入ります。 猛烈アタックが展開されていきました。

【司法書士会との和解】
 しかし、日本司法書士連合会から突然「代理業は司法書士法違反のおそ れがあるので言い分をお聞きしたい」との連絡が入りました。当時は、有 資格者を使わずアルバイトを使った代行業者も存在し、司法書士さんの業 務範囲を脅かすこともありました。ヒデミツのビジネスは司法書士さんか らのアドバイスを受け、司法書士法に沿った事業を実行しており司法書士 さんとの協力が基本でした。 

  あくまでも司法書士さんの力がなくては成立しないビジネスだけにお客 様の信頼も厚かったのです。こうしたヒデミツの企業コンセプトは日本司 法書士連合会から理解を頂きました。お客様と司法書士さんをつなぐビジ ネスは司法書士法には触れないという結論がでて,ヒデミツはさらに事業を拡大していきました。

【業績は絶好調】
 ヒデミツは有頂天です。この頃金融機関A社からも注文が増加の一途をたどり、月商5000万円〜8000万円もの売上を計上する勢いでした。大阪支 店を設置したり資本金を1000万円にしたり本社事務センターを作ったりま さに拡大路線まっしぐら。社員3人で始めた公簿取得代行業はいまや30人 を超える規模に成長していったのです。 

  ヒデミツが商売の基本としていた国民が最低1年に1回は使うものを商 売にしたいと考えていたことが公簿取得代行業だったのです。毎日毎日売 上は伸びる一方です。20代の青年社長はもう舞い上がってしまいました。 学習塾の講師派遣や選挙グッズの販売、自販機の設置などのビジネスとは ケタ違いの金額がヒデミツの手元に集まってきたのです。

第9章

【突然の取引停止】
  1996年の秋、ヒデミツはいつものようにCDを聴きながらタバコを 片手に車で営業活動に出かけていました。その時携帯電話に「金融機関A 社が本社の指示で取引停止」の第一報が入りました。「えっ」次の言葉が 出てきません。当時は情報通 信ネットワークでは9割の売上を占める金融 機関A社からの依頼がなくなってしまうことは倒産を意味します。本社か らは全支店に「情報通信ネットワークとは一切取引するな」という通達が 出されていたのです。今までの担当者に電話をしても「今日からは使えな い」という冷たい言葉がかえってくるだけでした。

【安易な会社経営を反省】
  あわてたヒデミツは営業を中止して、金融機関A社に駆け込みました。 「料金が高いのなら下げます」 「情報通信ネットワークに落ち度があるなら改めます」 「なんとか継続を」 しかし交渉の余地などなく、門前払い。 月商8000万円が350万円に。かつて妻と一緒にサラ金をはしごして 社員の給料を集めたことが頭に浮かんできました。有資格者との連携で他 の業者よりも割高の価格設定をしてきたこと。お客様は情報漏洩はないと いう信頼を買ってくれているんだという自負。安易な気持ちでビジネスを 展開してきたことが悔やまれます。毎日毎日売上が増え続けるために、あ らためて事業を省みることもなく会社には10時頃出社したり、ビジネス に身が入らなかったことがこんな結果になったと反省するのでした。情報 通信ネットワークは右肩上がりの成長しかヒデミツの頭の中にはありませ んでした。こんなノー天気の会社運営をしていたからこそ、突然の大口取 引停止になったと思いました。

【初心にかえる】
  しかし、ヒデミツは売上が1割にも満たない状況になってもくじけるこ とはありません。いっそうの闘志が沸いてきました。自らが有頂天になっ ていたことを反省。まず初心にかえることでした。公簿取得代行業を創業 した出発点に立ったのです。まず司法書士事務所を1軒1軒訪問して「件 数をどんどん出しますから単価を下げてください」お客様の開拓には力を 注ぎ「2時間以内でFAXします」と単価を下げスピードを売り物に新規 の顧客を開拓していきました。ヒデミツの真価は逆境だからこそ発揮でき たのです。

  ヒデミツは夫婦2人3脚で1都3県をまわり続けました。単価を下げる ためには司法書士さんの協力が必要ですから、電話ではなく、直接会って 交渉をすすめました。車で移動する時には東京に戻るのも時間がおしいの で車の中で泊まることもありました。食事もコンビニのおにぎりや弁当が 多くなっていきました。

  また東京都内では車をやめ、電車の中に折りたたみ自転車をかついで営 業活動に出かけました。法務局はどこも駅から遠いためタクシーやバス代 を節約するためにも自転車は最良の足だったのです。毎日朝は7時から夜 は12時すぎまで働き続けました。会社の机の上で寝たり、不眠不休の働 きです。終電車がなくなった社員のために、自宅まで車で送っていったり、 創業時以上に真剣に頑張っていきました。 

【ハングリー精神で危機脱出】 
 残った社員たちも「いつかは再起する」というハングリー精神を強めて、 歯を食いしばってヒデミツと共に頑張りました。耳が聞こえないくらい、 口がまわらなくなるくらい営業の電話をかけました。1分でも早くお客様 に謄本を届けるために仕事のスピードをアップしました。ヒデミツをはじ め社員みんなが若いからこそこんな体育会のような仕事ができたのではな いでしょうか。狭い事務所の中を走りまわってFAXをしたり電話をかけ ていたのです。とびまわる事務所だったのです。

【悲しいリストラ】
  ヒデミツにとって、いままで一緒に働いてきた社員をリストラさせるこ とは悲しいものでした。「人を大事にしない」とカゲ口を耳にしましたが、 売上が1割になってしまうのですからリストラは仕方がありません。9割 の売上をストップさせた見通 しの悪さはヒデミツの責任です。社員の責任 ではありません。しかしお金がなければ社員を雇うことのできないのが現 実なんです。初めての悲しい試練でした。「誰をどう切るのか」一番悩ん だことです。一人一人の社員と話し合って、情報通 信ネットワークの苦し い現状を理解してもらい、スリムな社内体制と司法書士手数料の値下げで 売上減に対応していきました。

【数ヶ月で売上が戻る】 
  金融機関A社1社の売上で急成長していった頃には新規のお客様を開拓 する営業などほとんど皆無でした。毎日自然と各支店からの受注がありま したので入金を確認する楽しみだけでした。しかし取引停止を境に初心に 返った猛烈営業を展開。1ヶ月に500軒もの司法書士事務所を訪問。単 価を1/3に切り下げてもらいました。「2時間でFAX」とスピードを 重視した売りこみで同業者を圧倒することで新規顧客を開拓。こうしたみ んなの努力で数ヶ月という短期間で売上は回復。社員一丸となった頑張り が情報通 信ネットワーク最大の危機を救ったのです。公簿取得代行業を始 めるコンセプトであった、お客様にとって早く、安く、安心して謄本が取 得できることをふたたび目指したことが情報通信ネットワークをよみがえ らせたのでした。

第10章

【M&Aが取引停止の真相】
  1997年が明けた頃、金融機関A社の役員さんが情報通信ネットワー クを訪ねてきました。突然の取引停止の時には電話で話すことも会うこと もできなかった本社の役員さんです。ひょっとしたらまた取引きが再開で きるのかと期待をしました。「情報通 信ネットワークの株を51%譲って 欲しい」と10数億円の小切手をヒデミツの前に置いたのです。突然の停 止以上にびっくり。 26才のヒデミツにとっては信じられない金額です。「これがあれば一生 遊んで暮らせる」もう頭の中は夢のようなパラダイスが拡がっていきまし た。毎年1000万円を使っても、100年もいきていくことのできる金 額なんです。 金融機関A社の小切手はまさに輝いていました。「ありがとうございます」 役員さんと握手をすれば、その日のうちに大金を手に入れることができた のです。

【大金を断る】 
 しかし、ヒデミツの回答は「NO」。51%の株を渡すということは、 これからのオーナー社長ではなく、サラリーマン社長として中途半端な気 持ちで会社経営を続けることになります。学生時代から夢を追い続けてき た情報通 信ネットワークは、自分の会社のようで自分の会社でない状態に なってしまいます。 26才のヒデミツがいま大金を手に入れてしまえば、もうこれまでの人間 になってしまう。10数億円のお金儲けを目指して、企業を設立したわけ ではありません。みんなが便利に、みんなから感謝されるビジネスを構築 してきたヒデミツです。全社員が一丸となってすすめてきた情報通 信ネッ トワークは、大金を手にしたヒデミツによって愛着をうすれ、いずれ支障 が出てしまうことは目にみえていました。 すでにこのお金を元手に夫婦でささやかな喫茶店をつくろうとか、ゆっく り世界旅行をしようなどと考えること事体が会社経営者としてはマイナス です。貯金を毎年少しづつ減らしていく生き方を選択すれば、まともな経 営者になれるはずがないのです。

【M&Aがで情報通信ネットワークを再認識】 
 ヒデミツは目先の10数億円よりも、自ら興した情報通信ネットワーク を信じました。有資格者による公簿取得代行業というビジネスを日本で初 めて構築してきた企業だからこそ、金融機関A社は、企業買収の話を持ち 込んできたのです。 情報通信ネットワークを子会社にさせるために理不尽な突然の営業停止を 仕掛けられたのです。ヒデミツを倒産寸前に追い込めば、ひきとろうと画 策したことを知りました。 はからずも金融機関A社が情報通信ネットワークの価値を認めてくれまし た。みんなの努力で売上も取引停止前にもどり、上昇志向でしたので、次 の目標をヒデミツは株式の店頭公開に置いてました。情報通 信ネットワー クの株式公開が実現すれば、10数億円が10倍にもふくらむはず。「安 売りはいけない」。安易な生き方は自分を堕落させる、いまM&A企業買 収の仕組みもわかったのですから、この事件をバネに情報通 信ネットワー クをさらに飛躍させることをヒデミツは誓いました。 26才のヒデミツは夫婦で静かな暮らしをするなどという生き方には納得 がいきません。商を自らの天性と考え行動し、頑張ってきたことを、単な るお金儲けのためだったと総括することは、とても堪えられない屈辱でも あったのです。

【給料ゼロで再建に全力】 
 企業買収を丁寧にお断りしたヒデミツは、いっそうビジネスに熱中して いきました。一社集中、本社集中の営業を続けると今回のように大口取引 停止で倒産のリスクを負うことから、広くお客様を集めていきました。 さらに一社集中の時には、単価競争もなく、安易な会社経営に甘んじてい ました。こんどはヒデミツは仕入れ原価を下げたり低価格の料金設定など、 他社との激烈な単価競争に入っていきました。 今回の金融機関A社の取引停止の責任はヒデミツ自らが起こしたものです。 社長1人の判断で、社員は痛手を負ったわけですから、全責任はヒデミツ にあります。 社員をリストラしてスリムな会社経営を余儀なくされているのですから、 社員自らの責任の取り方として、1年間ヒデミツ夫婦の給料をゼロにしま した。ヒデミツの給料をゼロにしても、会社が成り立たなければリストラ は仕方のないことと社員を説得しました。こうして少ない経費でいままで の3倍、4倍の働きで売上を増やしていったのです。

【逆境で学んだもの】
  夫婦そろった給料ゼロは考えてもいない暮らしが待ち受けていました。住 民税は前年度の収入により算定されますから完納することは大変でした。 家の冷蔵庫を小さくしました。家や会社では電気を小まめに消しました。 ペットボトルにお茶を入れて持ち歩きました。 土、日も休みなく働きました。夜も働くことを考えて、求人誌を出稿者 から求人者の立場で読みました。2人が無給で24時間働いたことから 情報通信ネットワークの営業経費ゼロから利益を生む結果を出すことが できたのです。 いままでは、がむしゃらにヒデミツは社員をひっぱってきました。自ら の思いを一方的に社員にぶつけていました。しかし、経営者と社員の意 識は違います。自分の成長よりも会社の成長が早いと、20代の社長は 追放されてしまった知り合いベンチャー企業も教訓になりました。会社 経営は決して楽ではありません。自分の給料はゼロ、社員には従来以上 に給料、ボーナス支給をしていたのですから健全な会社経営ではありま せん。 会社が厳しければ社員にも多くの課題を与え、ヒデミツが先頭を走って いたのでは、とても社員の気持ちも理解する余裕がなかったのです。

第11章

【36才の支社長と25才の社長】
 金融機関A社の突然の取引停止から発奮したヒデミツは、とにかく働き ました。給料をゼロにしてまで夫婦2人3脚での頑張り。売上も大口取引 停止前にまで戻り、順調な右肩上がりが続いていました。 ある日、上場をめざしていた情報通 信ネットワークに野村證券の地元支店 長さんが訪問。「上場をめざす地元企業を応援します」と力強い激励を受 けました。当時地元の支店は野村證券では120店舗中100番目位にラ ンクされてしまいました。36才という野村證券では全国最年少支店長さ んの着任でベスト10にまで業績を向上させた"伝説の営業マン"支店長 さんと出会うことができたのです。36才の支店長さんにとっても初めて出会う支店長よりも若い25才のヒ デミツです。いままで出会った企業トップでは年下の人には会ったことが なかったのです。年上の経営者だけが取引相手であり25才の青年社長の 存在は驚きだったのです。 

【早朝始業を見習う】
 野村證券の1支店を、わずか半年でベスト10にまで押し上げた原動力 は早朝始業です。午前6時20分出社。365日24時間体制で仕事に取 り組み、猛烈なビジネス展開をしたのが36才の支店長さんです。この若 い行動的な支店長さんとは波長もあってスポーツジム、カラオケ、お酒、 食事など週に何回もご一緒になる関係になりました。ヒデミツはじっと野 村證券の営業手法を観察していたのです。 まず野村證券ナンバーワンの早朝出社によって業績を向上させたことに注目。他の業者が始業する前から準備をすすめ、他の業者が始業と同時に一 斉に営業活動にはいることは本当に効果的。情報通信ネットワークも法務 局の開く前に司法書士さんに発注することで午前中いちばんの取得が可能 となるのです。まさに午前7時から午後11時までセブンイレブン体制を 社内に敷いたのです。社長自らが給料ゼロで頑張っているんですから社員 も当然頑張って欲しいという気持ちが強かったからです。

【トップ営業を学ぶ】
 野村證券支店長さんから学んだもう1つの手法はトップ営業です。決定 権のある人物と接触しなければ営業は決まらないということです。信販会 社に行ったとき、最初は快く会ってくれたのですが、2回目からはアポも とれない日が続きました。担当者にだけ交渉していてもスムーズに流れま せん。何度も電話をかけたり会社を訪問しても社長とは会うことができな かったのです。 ヒデミツは張り込みを試みました。午後3時から会社の前で社員2人とと もに張り込みを開始。帰りにどこかお店にでも寄ったら偶然会ったかのよ うに振舞おうとか、見てはいけないプライベートな場面を見たら、どうし ようかなどとあらぬ 想像をしていました。チャンスは4日目にやってきま した。社長は電車にのって帰宅するようです。「こんにちは」ヒデミツは 明るく社長に声をかけました。社長の自宅は調査していましたから、どこ まで帰るのかはわかっています。 ヒデミツの自宅のある蒲田を経由して帰る社長には偶然を装って「どこま で帰るんですか」「ボクと同じ方向ですね」と会話を弾ませました。ヒデ ミツは蒲田駅を降りる時にはもちろん社長とのアポは取っていたのです。 こうしてトップ営業に成功して取引が開始されたこともありました。支店 長さんから学んだ成果のひとつです。 

【社長と社員のズレ】
  ヒデミツは「会社を上場させたい」との一心で働きました。当時は公開ブ ームが始まっており、社員たちもこの夢を共有することで頑張ってくれる ものだと思っていました。だからこそセブンイレブン体制で社員を引っ張 っていても社員は必ずついてきてくれる、みんなで上場をめざそうと頑張 っていました。 しかし社員に持株制度を提案しても反応はありません。ヒデミツはどんな 時にも公簿取得代行業のトップを走り上場をめざす夢を語っていました。 夢があるからこそ中小企業の情報通 信ネットワークでも、社員一丸となっ て働くことができるとヒデミツは信じていました。ヒデミツの考えを社員 一人一人に伝達する社内体制を作っていきました。しかし、一方通行の上 意下達の社内システムが知らず知らずのうちに作られていたのです。

【反論できない社員の現実性】
  ヒデミツと社員にできた意識のズレは、やがて社内に波風を立てることに なりました。朝7時30分に出社して社員たちに指示を出し朝9時には営業現場で打ち合わせ、来客は日中をさけ夕方に集中、夜には社員一人一人 が書いた日報を読むという効率的な日程管理の下で社内を引っ張っていき ました。社員には時間外手当や給料アップ、ボーナス優遇など金銭面では 不自由をさせる待遇ではありません。けれども休日出勤があったり毎日の 勤務時間が長かったり、自由な時間がとれないことも事実です。「お金よ りも余裕の暮らし」を主張されれば反論はできません。「夢よりも今の充 実」を求められれば反論はできません。社長のヒデミツと社員を描くもの に明白なズレができてしまったのです。 いままでは、がむしゃらにヒデミツは社員をひっぱってきました。自らの 思いを一方的に社員にぶつけていました。しかし、経営者と社員の意識は 違います。自分の成長よりも会社の成長が早いと、20代の社長は追放さ れてしまった知り合いベンチャー企業も教訓になりました。会社経営は決 して楽ではありません。自分の給料はゼロ、社員には従来以上に給料、ボ ーナス支給をしていたのですから健全な会社経営ではありません。 会社が厳しければ社員にも多くの課題を与え、ヒデミツが先頭を走ってい たのでは、とても社員の気持ちも理解する余裕がなかったのです。